2012年6月2日土曜日

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石油が変えたテキサス

2010年07月21日    土佐幸子(ライト州立大学助教授)

米国オハイオ州で物理教育の仕事 に携わる土佐幸子さんに、米国の科学事情や、子どもたちと科学教育をめぐる楽しいお話をつづっていただきます。

7月 4日はアメリカ合衆国独立記念日です。週末を利用して、テキサス州の州都オースティン市を訪問しました。「7月 のテキサスなんて暑くて最悪よ」と友人たちに脅かされていましたが、幸いハリケーンの接近で雨 模様となり、暑さはそれほどでもありませんでした。町のいたるところで、白やピンクのサルスベリがきれいに花を咲かせていました。


その度は最悪です。

みなさんはテキサスと聞くと、どのようなイメージを抱くでしょう。カウボーイ、綿花、石油 ・・・と自分の不確かなイメージを手繰り寄せながら、テキサス州歴史博物館に入ってみると(写真トップ)、テキサスの歴史がわかりやすく解説されていました。先住民インディアンの時代、スペインによる新大陸発見、フランス領地、メキシコ領地、独立したテキサス共和国時代、そしてアメリカ合衆国に併合。さらに南北戦争では南部のアメリカ連合国に属し、インディアン時代を除いて、テキサスの空には過去6回、異なる国旗がひるがえったことになるわけです。テキサス出身の知人が「俺たちの国テキサス」と言うことがよくあるのですが、これは歴史と結びついた表現であることがわかりました。テキサスを象徴する「一つ星」は共和国時代のマークでした。


tuntable滝コミュニティ

博物館を見学する中で最も驚かされたのは、1901年に石油 が発見されて以来、いかにテキサスが変わったかという展示でした。それまで綿花を栽培し、カウボーイが牛を追って、地面の上の生産物に頼っていたテキサスの暮らしが、地面の下の燃える水 によって一変したのでした。油田近くの町では、富を求めて移住してくる人たちで人口が爆発的に増加し、住宅が不足し、学校が子どもたちであふれ、町のカフェや郵便局には長蛇の列ができたといいます(テキサス州歴史協会)。例えば、1910年代に油田が発見されたウィチタフォールという町の人口は、1910年からの10年間に、8,000人から5倍の40,000人に膨れ上がっています。その後も州のあちらこちらで油田が発見され、2009年の原油生産量は国全体の20%を占めています(U.S.エネルギー 情報機構)。テキサス州はメキシコ湾地区に続き、国で2番目 の原油生産地です。


cuyahog滝町の学校

石油 ブームを支えたのは、内燃機関 の技術的な発達と共に、運輸および産業のエネルギー 源が石油 に移行したことでした。エンジン内部で燃料を燃やし、そのときの圧力 で直接ピストンを動かす内燃機関 は、水蒸気 などを仲立ちとする外燃機関に比べて、エンジンの重さ に比較して出力 が高いという利点をもち、自動車、飛行機、船舶のエンジンに適していたのでした。おもしろいのは、アメリカ合衆国の電力 生産に消費されるエネルギー 源のうち、石油 は1%にも満たないことです。生産コストの安い石炭 が45%を占めます。エンジンをふかして速く移動するという便利さを人間が追求していなければ、テキサスの繁栄はなかったのかもしれません。


テキサスは、教育重視の政策を共和国時代にすでに打ち出していました。石油 がもたらす利潤は、テキサスの教育を発展させ、施設を充実させることに大いに貢献しました。中でも、テキサス大学とテキサス農業工科大学という2つの大学システムができ、そこでは世界でもトップランクの研究と教育が営まれています。今、テキサスは多くのコンピュータ 関係の企業が本社をおくハイテク産業の州として成長を続けています。そこには教育に投資した背景が寄与しているといいます。教育と科学・技術の発達と経済の発展・・・互いに影響しているわけですが、もし教育重視という先見の明がなければ、時代の波 に押し流されるだけだったのかもしれないと思いました。

テキサス大学オースティン校のキャンパスは、夏休みの週末とあって閑散としていましたが、それでも観光に来た家族連れを何組も見かけました。ヨーロッパ調の装飾は、この大学が1883年の創立当時、ヨーロッパの大学を見習って崇高な学問の拠点を築こうとした意志を表しているのでしょう。サルスベリの花と共に、オースティン校のキャンパスは私のテキサスのイメージを塗り替えてくれたようでした。



ボブ・ブロック・テキサス州歴史博物館:
テキサス州歴史協会:
U.S.エネルギー 情報機構:
テキサス大学オースティン校:

(プロフィール)
土佐 幸子(とさ・さちこ)
米国ロチェスター大学大学院修了、物理学博士。マサチューセッツ州立大学ローエル校教育学大学院修了、教育学博士。科学を通して「考える喜び」を伝えようと、1995年より米国ボストン科学博物館で子どものための科学教室を教える。日本の科学館、教育機関が実施するワークショップでも講師として活躍。現在、ライト州立大学助教授。理学部物理学科と教育学部教員養成科の兼任で、理科教育の日米比較研究に取り組んでいる。著書に『ライト兄弟はなぜ飛べたのか』(さ・え・ら書房)、訳書に『クォーク の魔法使い』(ロバート・ギルモア著、培風館)などがある。



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